こんばんは、かこでございます。
今日は、
の続きです。
おばさんは、飲み屋さんで知り合った男性と駆け
落ちし、おじさんと、小さな子どもたちが残されま
した。
下の子は暫くして、おじさんの実家のある田舎に
引き取られて行きました。
男手一つで二人の男の子を育て続けるのは、困
難であると判断したからです。
おじさんは、妻と下の子を、上の子は母と弟を、
下の子は家族全員を失いました。
それでも、おじさんは一生懸命に上の子に精一
杯の愛情を注いで、育てていたように思います。
聞いた話ですが、上の子は家族のアルバムを一
枚一枚剥がして、母の写っている写真を破り捨て
ていた
ことがあったそうです。
一方、駆け落ちをした本人はどうなったのでしょう
か。。。
その家族と私たちは家族ぐるみで付き合いがあり
ました。
特に、おばさんと私の母はとても仲が良かった。
そして数年後のある日、ある人から電話がありまし
た。
それは、駆け落ちしたおばさん本人からでした。
おばさんによると、駆け落ちして暫くして夫とは離婚
が成立したとのこと。
そしてまだ籍は入っていないものの、駆け落ち相手と
は一緒に暮らしている。
内縁関係だということ。
かこママ一家と会いたいとずっと思っていた。
こっち方面に来ることがあったら是非是非寄って欲しい
などと話したらしい。
夫と子どもを捨てて、駆け落ちした割には能天気極まり
ないとは思ったけれど、本人は本当に幸せそうでした。
その年のうちに、私を除く家族は旅行のついでにおばさ
んとおばさんの内縁の夫に会いに出かけた。
彼女たちは、
“そろそろ籍を入れようと思う。婚姻届けの証人をしても
らえないか”
といったそうである。
断る理由もないので、父と母は証人欄にサインとハンコ
を押して帰って来た。
“色々あったけど、幸せなのだから、まぁ良しとしよう。”
というのが、私の両親の弁であった。
母によると、暫くしておばさんのお腹に新しい命が宿り、
おばさんと新しい旦那さんは幸せの絶頂期を迎えること
となる。
しかし残念なことに、その後流産をしてしまった。
おばさん夫婦の間はそのことをキッカケに急激に、ぎくし
ゃくしだし、上手くいかなくなった。
そして、とうとう別々の道を選ぶことなったそうです。
お寺に勤める私が言うのもなんだけど、仮に神や仏が本
当に存在するのだとしたら、流産はきっと彼に与えた乗り
越えるべき試練だったのかも、知れない。
おばさん夫婦は、それが出来なかった。
この記事を読む人によっては、
“それは、家庭を捨てて駆け落ちなんかしたことの報いだ”
と思う人もいることでしょう。
そうなのかもしれないですね。
その後おばさんが、どういう人生を辿ったのかは連絡がな
いので、確認の取りようがないです。
今は、多分70歳くらいになっている筈。
元気でいてくれるといいんだけれど。