こんばんは、かこでございます。
さて、今夜は私がカナダで聞いた宗教(キリスト教)にまつわる、LGBTお話。。。
カナダは移民の国。
そのため色々な国からカナダに新天地を求めてやって来ます。
建前的には他民族、多宗教の国ではありますが、そもそもイギリスとフランスの植民地であったため、法律の成り立ちや考え方はヨーロッパの影響を色濃いものがあります。
キリスト教では、私の知る限り同性愛は罪とされているようです。
私がバンクーバーにいた頃に住んでいたシェアハウスのオーナーの親友でゲイの兄を持つロンさんがよくこう言っていました。
“Jesus super doesn’t like gays”
すかさず、イエスキリストに直接聞いたことあるの?と聞くと
やはり、答えはNOなので。。。
じゃあっ 聖書のどこに書いてあるんだ?と聞くと
・・・・・
だったりする。
私が聞いたことがあるのは、レビ記
18:22
「あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである」
の一節。。。
パッと見、なるほどー それはダメですねという感じです。。。
それでも、聖書はそんなこと言ってないぜと言う意見があったり、ローマ・カトリック教会あたりは「客観的な逸脱」と表現し。。。あのフランシスコ教皇が同性愛者と面会した際に
創造主である神があなたをそのように作った。続けて、人々の言う事を心配してはいけない。
と言ったとかで、バチカンでは教皇の個人的な会話には通常コメントしない~
と対応するなど、ホンマのとこどうなん、という感じです。。。
私は3年ほどカナダに住んでいました。。。
なので、ちょっとしたカナダの日常のことをほんの少しだけですが、触れてきました。。。
これは、本当にあった
え?
という話です。
カナダにはゲイがたくさんいて、それぞれいろいろ抱えながらも生活しています。。。
カミングアウトするかどうかというのは、人それぞれの様子です。
ホストマザーのお友達にゲイがいました。
彼は小さい頃から自分がゲイであることを、隠して生きてきました。彼は、熱心なキリスト教徒でもありました。とてもとても、悩んだ結果彼は子どもの頃からお世話になっている牧師に自分がゲイである事を打ち明ける決意をしました。
それは、とてもとても長い年月をかけて考え悩んだ末の事でした。
牧師にゲイであることを打ち明けた次の瞬間、心から信頼し尊敬していた牧師は彼にこう言いました。
“No’t welcome to here tomorrow morning”
その日から彼は、その教会に行くことが出来なくなりました。
おそらくは、この牧師の息のかかった教会では彼はこれ以後受け入れてもらえないだろうという事でした。
もう一つは、カナダにいる時にネットで見た記事です。
オンタリオ州のある街にレズビアンカップルがいました。
どういういきさつかはよく分かりませんが、二人には扶養する子どもがいて3人で仲良く暮らしていました。
レズビアンカップルは教育熱心な側面もあり、子どもを私立のミッションスクールの小学校を受けさせ入学許可も得ていました。
ところが、両親がレズビアンのカップルと知った学校側が一方的に入学を取り消しました。
理由は確か、わが校にはそぐわない家庭環境のためだったような記憶があります。
学校側の言い分としては、学校では宗教の時間があり、その際に同性愛は罪として子どもに教える。
その時にそのような家庭の子どもがいると、子どもも混乱し傷つくだろうという感じでした。。。
ニュースになっていたということは、両親は学校に対して何かしらのアクションを起こしているようでしたが、その後どのようになったのかはよく分かりません。。。
同じことが日本で起こった場合、ワイドショーでは、発言した牧師や入学を取り消した学校を大バッシングして、牧師の個人情報や私生活をばくろしたり、学校が廃校になる様な騒ぎになるんではなかろうかというような感じがしますね。。。
日本では同性愛ではないにせよ、性同一性障害で性適合手術を受けた、牧師さんや、尼さんやお坊さんがいてそれなりにマイルドに解決していることもあるようです。。。
基本的に宗教って人を幸せに快適に暮らせるようにするものであって、教義に縛られて、苦しめるものであってはいけないのだと私は思う。
人がいるから宗教が存在するのであって、教義が人よりも重要というのはあり得ないこと…
私から言わせると、トランスジェンダーにはトランスジェンダーの使命があるんじゃないの
という感じです。。。
と言っても、ホルモン剤や性適合手術の安易な決断はどうかなとも思います。。。
あれって結構、体や精神に負担がかかりますから。。。
結局、ホルモン剤や手術をして感情のコントロールが出来なくなり、精神的に異常をきたすようになったというのは、その世界あるあるなんだとか。。。
結局のところ、進むも留まるも苦しいという話になるのだろう。
ある意味、それも彼らの今世での修行なのかもしれない。。。。