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針の穴にラクダを通すもんだという=不可能なのか

こんばんは、かこでございます。

さて、世間一般に現実化することが

不可能に近いことを

針の穴にラクダを通すようなもの。。。

と表現しますね。

針の穴に 

ラクダ

それは、不可能に近いというよりも

物理的に無理無理無理

これは、新約聖書のマタイ19章16-26節から

きてるみたいです。

ある日、裕福な青年がイエスに天国に行くには

どうしたらいいかと尋ねると

「ハッキリ言っておく。金持ちが天国に入るのは

難しい。

重ねて言うが金持ちが神の国に入るよりも、ら

くだが針の穴を通る方がまだ易しい。」

と言い放ったことから、

金持ちは天国に行けん=不可能

という意味合いで今世まで使われています。。。

聖書の世界では、貧しいものは救われるが、裕福な

ものは救われないという言い回しが結構多いですね。

。。

何なんでしょう。。。イエスはお金持ちの事をお嫌い

だったのでしょうか。。。

それは、私が死んだ後にあの世でイエスに会うことが

あれば、聞いてみたいと思うのですが。。。

この、

針の穴にラクダを通すようなもの

の本当の意味を、私は知っています。

針の穴とは

 

↑ではなく、

遠い昔の時代に中東に実際にあった

とてもとても低くて小さい門の名前。。。

その門の先には、聖地なのか教会

なのかは分からないけれど、当時の

信仰者たちが必ず通らなければなら

ない門でした。

その地を目指して遠路はるばる、ラクダに

旅で使う荷物を載せて人々はやってくる

のですが

長旅で大きな瘤を持っていたラクダも目的

地に着くころには、ペタンコになります。

ラクダの瘤は脂肪分。砂漠の過酷な環境を

耐え抜く際に必要になります。

余計な脂肪を溜めたままでは、ラクダは背

中は

針の穴を通ることが出来ません。

イエスは

余計な脂肪=我欲(お金)

を落とせと言ったわけです。。。

私が法律事務所に勤めていた時に

再審請求が認められることは

針の穴に

ラクダを通すよりも

難しいとされていました。

しかし、近年再審請求が認められる

という事は、結構多くなってきました。

昔は再審請求が通れば弁護団は

泣いて喜んだものですが。。。

最近は、ラクダの瘤を失くす知恵が弁

護士にもついてきたと言う事でしょうか

。。。

ちなみに、キリスト教徒でない私が元ク

リスチャンのるーちゃんに聖書の書いて

ある根拠を何気に聞いたことがあるので

すが。。。。

答えは、

聖書に書いてあることは全てその通り。。。

受け止める。。。

決して、何故とか如何してと思ってはいけない。

もし考えるのだとしたら、それは。。。

神への冒涜

になるそうだ。

宗教とはそういうもの。。。キリスト教にせよ

イスラム教にせよ仏教にせよ、教えは一言一句

正しくて、何故どうしてということには、決して

言及しない。。。

そうして、人を思考停止にしてコントロールして

いるように感じる。。。

それで救われる人はいいけれど、そこで躓いて

こけちゃう人はどうしたらいいのだろうか。。。

宗教は怖いなと思う今日この頃です。

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