ある日の朝、寝坊をして目が覚めた。
テレビをつけると、ワイドショーをしていま
した。
「女子アナのさきがけとなった○○さん亡く
なる。」
といったことをしていた。
その話題はテレビをつけて、数秒で終わって
しまいました。
寝ぼけていて、誰が亡くなったのか全く分か
らず、五十何歳でと言うことだけ聞き取れて
、そのままお寺に出勤しました。
お昼休みに気になったので、毎朝同じ番組を
つけて見ているだろう同僚に、誰が亡くなっ
たのか、聞いてみた。
「有賀さつきさんだよ」
「え なんで 」
「分らんけど、急死みたい。お父さんも介護し
てて大変だった見たい。」
「あの人確か離婚して子ども育ててたよね ま
だ子ども小さいんじゃないの 結構高齢出産だ
ったような…」
「うん。私と一緒で、高齢出産。私40はだった
けど、彼女も似たようなもんだよ、確か」
「子どもは誰が面倒みるんだろ…」
そんな感じで、お昼休みは終わりました。
ざっとインターネットで見てみると、誰にも病気
のことを言わず、家族にさえ何も言わず一人で旅
立っていったらしい。
入院も体調が悪そうなのを、見かねたお父さんが
促してようやくしたそうな。
病院は本人の意思を尊重して、親族にも死因とな
った病名も明かしていないとのこと。
人それぞれなので、それはいいとして私が一番心
配なのは、子どもさんのことです。
突然、たった一人の家族を亡くした子どもさん、
聞けば15歳なんだそうです。
私の父方の祖母は、父が12歳の時に交通事故で亡
くなりました。
梅雨の日、子どもが持っていくのを忘れた傘を学
校に届ける帰り道でした。
父には3人の姉がいて、私には伯母にあたるのです
が、当時未成年だった伯母たちは
「お母ちゃんに会いたい。もう一度だけでいいから
、お母ちゃんに会いたい。ダメなら、夢の中でもい
いわ。」
と80歳近くなるまで口癖のように言っていました。
昨年、一人の伯母が亡くなりましたがその時に言った
次女の伯母の言葉が
「良かったね。これで、天国でお母ちゃんにあえるね
ぇ。」
でした。
妻を亡くして、再婚もせず男手一つで6人の子どもを育
て上げた祖父でしたが、一度もお父ちゃんのおの字も
でなかったのは可哀想でなりません。
しかし、子どもにとって母親とはそういうものなのだと
、思います。
父も、祖母の交通事故のことに触れられるのを嫌がりま
す。
祖母の死に目には立ち会えなかった父ですが、祖父が旅
立つときは、祖父の手を握って放しませんでした。
きっと、祖母の旅立ちに立ち会えなかった分、どうして
も、祖父の手を握り続けていたかったのだと思います。
離婚後、有賀さんに引き取られたこどもさん、聞くと父
親とも良好な関係を持っておられる様子。
ちょっと安心しました。
15歳という多感な年齢で母親を亡くし、これからの人生
で母親が必要な時に母親がいないというのは、とても大変
なことだとは思うけれど、有賀さんの子どもさんなら、乗
り越えられそうな気がします。
頑張って。