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あれから23年

23年前のまだ暗い5時45分頃、ふと、目が覚めた。

そしてゴォ~っという地鳴りが聞こえて突然、家が上下に揺れだしました。

どれぐらいの時間揺れたのかよく覚えていないけれど、まるで、ジェットコースターに家を乗せたような、感じでした。

私も家族もそうですが、地震が起こる前に突然目が覚めたという人は、とても多いです。

弟は揺れている間、窓を開けて外を見たそうですが、空がピヵ、ピヵっと光っていたといっていました。

建売住宅の築26年の家は地震に持ちこたえ、壊れることは有りませんでした。

家の建っている向きが、地震の揺れと違ったせいか、家の中のものが倒れたり壊れたりすることは全くなかったです。

テレビをつけると、神戸を中心に大変なことになっていました。

高速道路が折れ曲がり、バスがギリギリのところで、引っかかっていました。

こんな大変な光景を見ても、勤め人とは悲しいもので、時間になると仕事に行かなければならないという思い込みに、駆られます。

当然、地下鉄は止まり、バスにもこれ以上人が乗れないと一目見て分かるほどの乗客が乗り込んでいて、仕方なく、自転車で極寒の中、1時間近くかけて職場に向かいました。

もちろん、ノーヘルです。

今考えると、余震でビルが倒れたり、ガラスが割れたりとか危ないっ!と思いますが….

地震の時に絶対やってはいけない、エレベーターに乗ってオフィスに入るというのもやっちゃいました。

関西には、大きな地震が来たことなどなく、そういう知識は皆無でした。

無知というのは怖いですね。

事務所の中は書架から本が飛び散り、ワープロのキーボードが揺れで外れ、弁護士が大事にしている絵画が落ちて額縁が割れるはで大変でした。

まず、事務所に入ってしたことは、弁護士含めスタッフの安否確認でした。

トトロン先生は脳天気にも、新大阪で東京行きの新幹線を待っているとのこと。

こんな時に、新幹線は動きませんよ。在来線すら動いてないのに。

秘書たちは全員無事で、私が自転車で来ているというと、遠方に住んでいる秘書除いて自転車でやって来た。

もう一人のボスは、高速道路が倒れ、折れ曲がったちょうどあの地域の分譲マンションに住んでいました。

阪神淡路大震災の時に度肝を抜かれたのは、建物の潰れ方でした。

5階建てが、4階建てになる途中で強度が弱いところが押しつぶされてしまうのです。

もう一人のボスの安否はようやく、2日後連絡が取れ、分かりました。

その時は、涙が止まりませんでした。

電車が動くようになってから、ボスのお宅に食料品などを届けに行ったのですが、現場はテレビで見るよりも、悲惨でした。

ボスの住んでいたところは、建物の崩壊が酷く、ボスの住んでいるマンションの隣のマンションは丁度真ん中の階が潰れて、無くなっていました。

ボスはカーテンを閉め切っていて

「ワシ、隣のマンションようみん(見ることが出来ない)」

「○○さん3階(潰れて無くなった階)に住んではってん。」

と言いました。

○○さんとは、ボスの依頼者のことで、私もよく知っている人でした。

後日談ですが、ひと月ほどして、○○さんと名乗る方から事務所に連絡があり、ビックリしていると、

「私、あの日の前日、弟の家に泊まって、家にはいなかったんです。」

チューリップ紫
チューリップ紫
チューリップ紫
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今、地震で怖い言えばやはり津波でしょうか。

津波ももちろん怖いですが、私は地震の後の火事も同じように怖いです。

阪神淡路大震災では、建物の中で身動きできないまま、火災でなくなった方も多いです。

昔過ぎて、なんですが、関東大震災でも火災でなくなった方がやはり多いです。

時代背景的に家が木造だとか、地震の発生時刻とかもあるんでしょうけど。

テレビで見ていると、地震=津波と一本調子であるように思いますが、地震にはいろいろな被害があることを、覚えておいて欲しいです。

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