私の祖母はクリスチャンでした。
晩年は寝たきり生活になり、長男の嫁としっくりいかないということもあってか、末娘が熱心なクリスチャンであったのも影響して、「クリスチャンになったら本当に救われるのであれば」と言ってある日突然洗礼を受けてしまいました。
それは、祖母が決めたことなので、それはそれでいいのですが。。。
ある日、長患いの末祖母が亡くなりました。
さて、お葬式ということになり、教会の牧師さんを呼びました。
祖母が亡くなったのが金曜日の夕方で、土曜日にお通夜にあたる、前夜祭、日曜日にお葬式ということになるだろうと、思いました。
が、教会は日曜日はどうしても大切な、なんちゃら式(聞きなれないので忘れました)があるので、教会はお葬式ができないと言い出しました。
宗教関係でお葬式より大切なものがあるのか?という感じでしたが、そこらへんは、牧師さんは「お葬式は月曜に」ありきで、全く意に介していないようでした。
ここら辺が、仏教とキリスト教の違いでしょうか。
話を進めて過程で、重大な問題が浮上します。
月曜日は「友引」だったのです。
私は、子どものころ大正生まれの人に一時期預けられたことがあり、その人から、日本の迷信なんかを叩き込まれました。
その人は、友引には絶対お葬式をしてはいけない、友を引くとかいて「友引」、友引にお葬式をすると、死者が親族を連れて行ってしまう。
すなわち、身内に不幸が続くと聞かされました。
親戚の大半は無宗教と言え、日本古来の迷信もあり親戚中ざわつきましたが、結局、喪主の叔父の決断で友引にお葬式をすることになってしまいました。
教会でお葬式をして、斎場に行きました。
友引は斎場がお休みだと、私は思っていましたが、それは間違いでした。
友引なのにも関わらず、斎場は大盛況でした。
でも、不思議なことに、火葬されるご遺体はたくさんあるのに、参列者祖母の関係者ばかり。
後で聞いた話なのですが、友引に火葬されるのは、身寄りがないような行き倒れの方々が多いそうです。
祖母は、たくさんの無縁仏さんたちと一緒に旅立って行きました。
幸いにも、友引にお葬式にしても、親戚に不幸はおきませんでした。
ただ、悲しいかな祖母が生前一番大切にしていた、叔父が経営してる町工場が、倒産しました。
それも、あっという間に。
きっと、生きている人間ではなく、工場を祖母は持って行ったのだと思います。




今は、高齢化社会でたくさんの高齢者が亡くなって行きます。
東京などの都会では、友引でも火葬場を稼働させないと、追いつかないらしいです。
そこで、迷信を吹き飛ばす秘密兵器があります。
その名も「友引人形」

(HPから拝借しました)
この友引人形を棺に入れて、火葬するそうです。
効果のほうはどうでしょうか。
たかだか、迷信 されど、迷信。
ですね。